私は昭和35年に町内中学校3校が統合して新しく開校した修善寺中学校に教師として着任いたしました。
昭和33年の狩野川台風で学校が流失し大変な被害を受けましたが、何とか乗り越えて柏久保の地に新校舎が出来上がり、ようやく授業が始まりました。
今迄とは違い、学区が違う生徒達が一緒になり規模の広がった中で馴れていくのに時間がかかりました。
何とか早く学校生活に馴染んで皆仲良く絆を深めていく様に、何か集中して出来ることはないかと、校長先生の提案で校歌の他に皆で歌をうたうのはどうかということになり、早速生徒から詞を募りそれに曲を付けて出来上がったのが『生徒会の歌』でした。
皆で一緒に声を出して歌うことで今まで知らなかった仲間もすぐに仲良く輪が広がることを願って曲を作りました。私自身東京から見知らぬ土地に来て始めて教師生活に入った不安を重ねながらそう考えていました。
そして運動会や式典や行事のある度校歌と一緒に歌っておぼえてもらいました。
その頃の私は生徒との年も近かったので色んな話をしたり音楽室で楽器の話をしたりしているうち私の名前を別読みにして「コリントウ」というあだ名をつけられ、時にふざけたり騒いだりしながら生徒との距離は近く、なごやかに過ごしていました。
あの頃、血気盛んだった生徒の皆さんは今もう70代でしょうか、私も90才を越え改めて時の流れを思い懐かしい氣持で久しぶりに音譜をさがしピアノで弾いてみまでした。遠い日の光景がよみがえり、あり頃のみんなの顔が浮かんできました。もしグループ会や同窓会等で思い出して口ずさんでもらうと幸せです。
2024年7月 小 林 登
記録委員会で生徒会の歌について話題となり、2024年7月に小林先生を訪ね生徒会の歌について取材させていただき貴重なお話を伺うとともに手記をお寄せいただきました。
それからひと月と経たずして小林先生は永眠されました。
ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。